#09
#09

800年の時をつなぐ祈りの炎

第9回
「勝部の火まつり」


ごうよ! ひょうよ! 勇ましい掛け声とともに、大松明の炎が、男たちの心が熱く燃え立ちます。

火の起こり

火の起こり

 火の起源は、おそらく落雷などの自然現象から生じたものでしょう。人類がいつ火を使い始めたかについては諸説ありますが、アフリカでは約140万年前の焚き火跡が発見されています。

 一方、火の起源にまつわる神話が古今東西に存在します。ギリシャではプロメテウスが天界から火を盗み、日本ではイザナミノミコトがカグツチという火の神を生みました。

 人間にとって火は、動植物を食物とするための道具であり、獣と戦うための武器であり、寒さをしのぐ暖であり、闇を照らす光。火を自在に操ることができるのは人間だけです。しかし、その扱いを誤れば、すべてを焼き尽くす紅蓮のほむらと化します。それ故か、古来、人々は火に畏敬の念を抱き、信仰の対象として崇めてきました。揺らめく灯に、燃え盛る炎に、天を焦がす火柱に、私たちが見たのは神秘でしょうか、それとも魔性でしょうか。

冬の火祭り

どんど焼き
どんど焼き

 わが国の伝統行事や祭礼には火を焚くものが数多くあります。古から私たち日本人は、神霊を送り迎える心や清めの儀を炎に託してきました。

 新年1月15日、小正月には全国各地で「左義長(さぎちょう)」という火祭りが行われます。「どんど焼き」「ほっけんぎょう」などとも呼ばれ、門松やしめ縄といった正月飾りを家々から集めて、14日の夜または15日の朝に焼くのが一般的です。この火は神聖なものとされ、餅や団子を焼いて食べたり、灰を体にまぶしたりすると健康になるという言い伝えがあります。平安時代の文書には三毬杖などと表記されており、毬(まり)を打つ遊戯に用いる毬杖(ぎっちょう)を三本結わえ立てたことに由来するのだそう。元は宮中で行われていた儀式が民衆へと広まり、無病息災、家内安全、豊作・豊漁を祈願する祭りとして現代に受け継がれ、今は子どもたちの地域行事になっているところも多いようです。

近江の奇祭「勝部の火まつり」

勇壮な勝部の火祭り

そんな冬の風物詩の中でも、特に勇壮な火祭りがあります。

 「おいさ、おいさ!」「ごうよ、ひょうよ!」という勇ましい掛け声。ごうごうと音を立てて燃え上がる巨大な12基の松明(たいまつ)。闇夜に火の粉が舞い、ふんどし姿の男たちが乱舞する。滋賀県守山市の勝部地区に代々伝わる「勝部の火まつり」です。

勝部の火祭りの様子
勝部の火祭りの様子

 鎌倉時代、時の天皇が原因不明の病にかかりました。占い師がみたところによると、近江国の沼に数千年も生きる大蛇の呪いだといいます。すぐに兵が退治に向いましたが、大蛇は姿を現しません。一同が討伐祈願のため勝部神社に50日間こもると、満願の日にどこからともなく弱った大蛇が出現したので、これを討ち取り焼き払うと、天皇の病が治りました。

 このような言い伝えから始まったとされる勝部の火まつりは、毎年1月の第2土曜日に勝部神社で行われます。長さ約6m、重さ約400kgもある巨大な松明は、大蛇に見立てたもの。その1基1基に神酒、鰯、豆腐を供えて祈祷した後、ふんどし姿の若衆が神前の御神火から火をもらって一斉に点火。12の“大蛇”が豪快に燃えると、神社の境内が炎の海と化すほどの迫力です。辺りに響く「ごうよ、ひょうよ」の掛け声は、御脳平癒(ごのうへいゆ)という言葉がなまったもので、ご病気が治りますようにとの願いが込められています。

 こうして約800年続く伝統の火まつりは、滋賀県の三大火祭りの一つ、近江の奇祭の一つに数えられ、昭和33(1958)年には県の無形民俗文化財に選択されています。

炎よりも熱い勝部の男たち

勝部の男たち

 勝部の火まつりを先人から受け継ぎ、そして未来へ伝えるのは勝部の若衆。自治会や地元住民、勝部神社とその関係者など、多くの力で支えられているまつりですが、その中心的役割を担い、1年かけて準備をするのは、中学1年生から34歳までの男性で構成される総勢約80名の「松明組」です。大蛇の頭となる松明の先端部の菜種殻も自分たちの手で育てます。

 当日は準備や昼の催しが終わると、身を清めてまつりの装束に着替えます。真冬の夜であるにもかかわらず、ふんどし一丁に地下足袋という出で立ち。白いふんどしは若手、赤いふんどしは年長者です。午後6時になると、おはらいを受けた若衆が3つの組に分かれて大太鼓の担ぎ、まちを練り歩きます。そして、午後8時頃になると、3組の大太鼓が鳥居前に集まり、威勢よく勝部神社の境内へ。松明奉納、松明奉火、いよいよ最高潮。炎とともに、男たちの心が熱く燃え立ちます。勝部で生まれ育ち、今は遠くのまちで暮らしている人々も、この日だけはふるさとに帰ってくるのでした。

 800年という長きにわたって受け継がれてきた勝部の火まつり。そこには、時代を超え、世代を超えてつながる人々の心がありました。

勝部神社

勝部神社
勝部神社

 「勝部の火まつり」の日には多くの見物客でにぎわう勝部神社の創建は大化5(649)年。物部宿禰広国が物部郷勝部村に祖神をまつったのが起源とされます。古くは物部神社、勝部大明神とも呼ばれ、物部郷の総社として信仰されてきました。祭神は、物部布津神(モノノベフツノカミ)、宇麻志間知命(ウマシマヂノミコト)、天火明命(アメノホアカリノミコト)、布津主神(フツヌシノカミ)。祭神が武神であったことから武家の信仰があつく、中世武家時代には近江守護職の佐々木(六角)高頼をはじめ豊臣秀次や織田信長らの信仰を受けたそうで、佐々木氏が出陣する際には必ず勝部神社の竹を旗竿にしたと伝えられています。現在の本殿も戦国時代に佐々木氏が再興したもので、国指定の重要文化財です。豊かな鎮守の森を背に、風格ある社殿が厳かな雰囲気を漂わせています。

  • 住所/守山市勝部1丁目8-8
  • 御利益/開運厄除、病気平癒、交通安全、学業成就
  • 冬の主な行事/毎年1月第2土曜日に例大祭(松明祭)・火まつり

守山市

 滋賀県の南部、琵琶湖の東岸に位置する市。古代遺跡が数多く点在し、中でも南部の服部遺跡は縄文、弥生、古墳、奈良、平安という各時代の複合遺跡であり、その調査を契機に、1980(昭和55)年には「埋蔵文化財センター」が開館しています。また、守山の名は鎌倉時代の紀行文である『十六夜(いざよい)日記』にも見られ、近世は中山道(なかせんどう)の宿場町として栄えました。近年は住み良い市として人口も増加傾向にあります。