#51
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江戸時代から続く伝統の味。
八百与の「長等漬」。

第51回
宮内省御用達のお漬物。「八百与」


滋賀県大津市の中西部、三井寺の背後にたたずむ小高い長等山。その麓で採れた野菜を漬けるから「長等漬(ながらづけ)」といいます。創業170年の老舗「八百与(やおよ)」が作る名物であり、滋賀・京都で唯一の宮内省御用達となった漬物です。それは、時代を超え、世代を超えて愛され続ける、これからも変わることのない伝統の味です。

嘉永3年創業の老舗漬物店

長等漬「八百与」
長等漬「八百与」

 その頃、日本の人口は3000万人程度だったと考えられています。男も女も庶民は質素な着物に身を包み、長屋の6畳ほどの部屋に家族で住んでいました。もちろん電気はなく、油に火をともす行灯(あんどん)が照明です。食事はご飯とみそ汁と漬物の“一汁一菜”が基本。たまに野菜の煮物や焼き魚が付きます。

 日々の暮らしは決して楽ではないものの、花見や祭り、寺社巡り、相撲見物、川柳に俳句など、さまざまな娯楽や趣味にも興じ、明るく力強く生きていた江戸時代の人々は、今の私たちと同じなのかもしれません。浦賀沖に4隻の黒船が来航し、幕末と呼ばれる動乱の時代が始まるのは、もう少し先のこと。徳川幕府、天下太平の嘉永3(1850)年、近江国で一軒の漬物店が創業しました。

滋賀・京都で唯一、宮内省御用達の漬物

東海道五十三次 大津
東海道五十三次 大津

 東海道五十三次最大の宿場町であり、琵琶湖水運の港町、三井寺の門前町としても栄えた大津。さまざまな人、物、情報が行き交うその活況ぶりは「大津百町」と称されました。実際、江戸時代の中頃には100の町を数え、およそ1万5000人が暮らしていたそうです。

 大津百町の多彩な商いは明治以降、商店街という形に姿を変え、往時の賑わいを継承しています。その一つである菱屋町商店街を行くと、ひときわ目を引くケヤキ一枚板の大看板と瓦屋根の老舗があります。嘉永3年創業、代々170年続く漬物店の「八百与(やおよ)」です。

奉納

 店は、170年以上前からありました。元は三井寺や比叡山延暦寺などの精進料理を作っていた料理店でした。その一方、京都の九条家に野菜を納める商いも手掛けており、その九条家からの要望で、当時の店主が近江野菜や近江かぶらで漬物を作ったところ、大変美味だと評判になり、ついには専門店へと様変わりしたのです。

 名物は粕漬と千枚漬。粕漬は、長等山の麓で採れた野菜を漬けているから「長等漬(ながらづけ)」だと、明治10(1877)年に当時の滋賀県知事だった中井弘さんが命名し、八百与の看板商品になりました。そうして滋賀の特産品として多くの人に親しまれ、長等漬は大正3(1914)年に、千枚漬は大正5(1916)年に、滋賀・京都の漬物店で唯一、宮内省御用達になったのです。

 ちなみに、千枚漬といえば京都の名物として有名ですが、その千枚漬に用いられる聖護院かぶらは、近江かぶらの種がルーツとされています。

日本美術の恩人フェノロサも愛した芸術品

フェノロサも愛した芸術品
フェノロサも愛した芸術品

 日本の伝統食である漬物。でも、おいしさに国境はないようです。明治期、一人の外国人が八百与の長等漬を食しました。

 アーネスト・フランシスコ・フェノロサ(1853~1908)は、アメリカの哲学者であり美術研究家。明治11(1878)年に来日し、東京大学で教鞭を執るかたわら日本美術を研究。日本画の復興を提唱し、助手の岡倉天心とともに東京美術学校の創設に参画するなど、日本美術の恩人と呼ばれる人物です。

 その頃の日本といえば、明治維新を経て西洋文化に傾倒していた時代。当時の日本人にとっては外国の絵画や彫刻が芸術であり、写楽や北斎や歌麿の絵に価値があるとは誰も思っていませんでした。その浮世絵や仏像に魅了されたのがフェノロサです。彼は、日本の伝統文化がいかに素晴らしいかを説いて回り、そして世界に紹介しました。

 そんなフェノロサが日本にいた9年間で「一番おいしかった」と本に記しているのが、八百与の長等漬です。丹精して作られた漬物もまた日本の伝統美であり、世界に誇れる芸術品なのかもしれません。

未来へ受け継がれる伝統の味

六代目から七代目へ
六代目から七代目へ

 長等漬は、江戸時代から伝わる製法で今も漬けられています。

 最初は塩漬けにして、かぶらの場合はぬかに漬けてから粕に漬け、塩を抜きながらだんだんと粕のうま味を足していきます。そうして1年半ほど漬けながら、粕を替えて味を見ます。それを3~4回繰り返し、塩の抜け加減などで出来上がりを判断します。気温や湿度によって、漬ける時間や塩加減が変わるのだそう。長年培った感覚と、自然との調和から生まれる絶妙の味。辛くもなく甘くもなく、すっきりとした味わいです。

 長等漬と千枚漬だけではありません。八百与の店頭には、いつも50~60種類の漬物が並んでいます。

 「もう少し厳選して品数を絞りたいという思いもあるのですが、お客さまの声を受けて作ったり、試行錯誤の末にできる漬物もあって、年々増えていきます」と、六代目の小倉与七郎さんは笑います。

 伝統の味を守りつつ、先進の味を生み出す。中には八百与でしか味わえない、いわば創作漬物もあり、常連客の舌も飽きさせることがないのでしょう。最近は、しょうがときゅうりを混ぜた漬物が人気なのだとか。そのお客さまは中高年の方ばかりかと思いきや、「食べず嫌いだったけれど、食べてみたらおいしかった」と、若い人も訪れるそうです。

 「親御さんと一緒に来ていた子が大きくなり、今度は自分のお子さんを連れてまた来てくださいます。代々通ってくださるお客さまがいるからこそ、八百与も長く続いているのでしょう」

 そう話す六代目のかたわらで、七代目の康寛さんが働いています。今はまだ修行中の息子さんです。

 少子高齢化や時代の変化の中で、人材不足、後継者不足、若い働き手の不足は今や日本全体の深刻な問題となっていますが、ここ八百与に限っては、その心配はなさそうです。

 「170年続きますと、次はやはり節目の200年という夢があります。その夢を息子がかなえてくれたら嬉しいですね。今のところ私の手伝いのような形ですが、そのうちに見て覚えるんじゃないでしょうか。伝統の味も、心構えも」と控えめに話す与七郎さんの、少しはにかんだ笑顔が印象的でした。

八百与
八百与
「八百与」

住所:滋賀県大津市長等2丁目9-4