#23
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悲運の戦国武将、明智光秀。

第23回
戦国時代篇(1)「明智光秀」


湖国近江は、戦国の世の重要な舞台。
名だたる武将たちが覇を競い合い、時代は激しく波立ちました。
いま穏やかな琵琶湖には、明智光秀の築いた城が、描いた夢が眠っています。

湖中から現れた坂本城

湖中から現れた坂本城
湖中から現れた坂本城

 春先から、あまり雨が降らない年でした。6月も空梅雨で、夏には記録的な猛暑と少雨により、広い範囲で大渇水が起こりました。平成6(1994)年のことです。近畿の暮らしを支える琵琶湖の水位も下がり続け、9月には観測史上最低のマイナス123cmを記録したほど。そんな暑い夏、まるで蜃気楼のように、坂本城の遺構が出現しました。渇水によって、湖中に沈んでいた本丸の石垣がその姿を現したのです。

 坂本城は、近江国滋賀郡坂本にありました。現在でいえば滋賀県大津市下阪本に位置し、その西側には比叡山の山脈が横たわり、東側には琵琶湖が広がるという、自然の要害を備えた地に立つ水城でした。築城は今から約450年前の元亀3(1572)年。城主は、明智光秀公その人です。

敵は本能寺にあり

現在の本能寺
現在の本能寺

 令和2年のNHK大河ドラマ『麒麟がくる』では、戦国武将・明智光秀が主人公として描かれています。光秀の名を今に伝える歴史上の出来事といえば、やはり「本能寺の変」でしょう。

 天正10(1582)年6月2日、羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)の毛利攻めを救援するべく、京都四条の本能寺に滞留中だった織田信長。一方、信長より出陣の命を受けて先発し、丹波亀山城にいた明智光秀。ところが、その2日未明、光秀は「敵は本能寺にあり」ときびすを返し、信長を急襲します。しかし“敵”もさる者、寝込みを襲われてなお応戦した信長でしたが多勢に無勢、もはやこれまでと悟り、火を放って自刃しました。

 これがおおよその通説ですが、詳細については諸説さまざまな解釈があります。光秀が謀反を起こした動機についても幾つかの説が存在します。たとえば、ひそかに天下を狙っていたがための野望説。本能寺の変の前、京都の歌会で光秀が詠んだ「時は今 雨が下しる 五月哉」は、その意を表しているという見方もされています。また、江戸時代から明治時代にかけて主流だった怨恨説。信長から不当な扱いを受けていた光秀が恨みを募らせたというもので、史料にはそれを裏付ける逸話が多く見られるようですが、それらは一次史料ではないため信ぴょう性に乏しいともいわれています。そして黒幕説。後に天下人となった豊臣秀吉や徳川家康と共謀していたという説、朝廷が信長暗殺をもちかけたという説など、裏には黒幕がいたという話も語られています。しかし、いずれも疑問の余地はあるようです。

 かように、天下統一を目前にした主君を家臣が討つというこの大事変には謎が多く、信長の遺体が見つからなかったことも相まって、今なお戦国史最大のミステリーといわれています。

悪漢か、英雄か、今も慕われる光秀公

今も慕われる光秀公

 本能寺の変からさかのぼること11年。元亀2(1571)年9月、織田信長は延暦寺との対立から比叡山を焼き払いました。この比叡山焼き討ちの陣頭指揮を執ったのが明智光秀とされます。信長は光秀に滋賀郡を領地として与え、比叡山延暦寺の監視と琵琶湖の制海権獲得のため、坂本の地に城を築かせました。それが、大天守と小天守、石垣と瓦葺きの天主を持つ豪壮華麗な坂本城です。光秀はこの城を居城として、近江国の平定に乗り出しました。

 現在の大津市下阪本には明智光秀ゆかりの史跡が数多く点在しています。比叡山を焼き討ちされたにもかかわらず、古来、近江の人々は光秀に対して親愛の情を抱いています。坂本をはじめ丹波や丹後といった国々を治めた際には、領民のために尽力し、名君とたたえられました。そうした歴史を鑑みるに、光秀は民に慕われる良い領主だったのでしょう。戦国武将にしては珍しく側室を持たず、妻一筋の愛妻家でもあったようです。本能寺の変により天下の逆臣と呼ばれ続けてきた光秀ですが、近年、その見方は変わりつつあります。

雄大な湖景に思いをはせて

湖景と坂本城跡
湖景と坂本城跡

 本能寺の変の後、織田信長の死を知った羽柴秀吉は、攻め込んでいた毛利氏と和議を結んで引き返し、山崎の地で光秀と一戦を交えました。天正10(1582)年6月13日、世にいう山崎の戦いです。光秀はこれに敗れ、坂本城を目指して敗走するも、山中で農民の落武者狩りに襲われて命を落としたと伝えられています。本能寺の変から、わずか11日後のことでした。

光秀公の墓
光秀公の墓

 一方、光秀の敗報を聞いた娘婿の明智秀満が安土城を出て坂本城に入城しましたが、秀吉方の堀秀政の軍勢に攻撃されて坂本城は落城。秀満は光秀の妻子とともに城に火を放って自害します。こうして坂本城は焼失しました。

光秀の夢の跡

光秀の夢の跡

 現在、坂本城の遺構はほとんど残っていません。夏の日照りが続くと、湖中から本丸の石垣が姿を現わす幻の城です。雄大な湖景を望みながら、光秀は何を思っていたのでしょうか。その心もまた、いまは幻です。