#30
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古くて新しいぬくもり表現を伝える
ガリ版印刷発祥地 東近江市
「ガリ版伝承館」

第30回
東近江市「ガリ版伝承館」


その音に懐かしい青春を思う人。その音に新しいぬくもりの表現音を見つける人。ガリガリという鉄筆の音でも愛された印刷機「ガリ版」。
Good Sign第30回は、その発祥地・東近江市蒲生岡本町の「ガリ版伝承館」と、いま再認識が進むガリ版の魅力をご紹介しました。

東近江市ゆかりの画期的な発明

ガリ版

 琵琶湖の南東部に位置する東近江市蒲生岡本町。明治27(1894)年、この町から、日本のガリ版印刷の歴史が始まりました。

 ガリ版とは、正式には「謄写版(とうしゃばん)」という名の簡易な印刷機のこと。大量印刷を可能にした画期的な発明で、昭和の時代に全盛期を迎えました。通称であるガリ版の由来は、鉄筆という特殊なペンを使って原紙に文字や絵を刻む際、ガリガリと音がするから。その音に郷愁を抱く世代も少なくないでしょう。

 ガリ版の原型を開発したのは、かの発明王トーマス・エジソン。これを日本向けに研究し、完成・普及させたのが、蒲生岡本町出身の堀井新治郎(初代、後の元紀)、耕造(2代目新治郎、後の仁紀)父子です。明治40年代築という住居跡は、その功績を称える施設「ガリ版伝承館」として残っており、ガリ版文化を守り伝えている「新ガリ版ネットワーク」がここを拠点に活動しています。事務局長の田中浩さんは、ガリ版の意義についてこう語ります。

 「ガリ版は、幼稚園児でも扱えるほど簡単で、だれでも電気いらずで印刷ができます。教育面では、日本の識字率を高めたのはガリ版だという見解も。毛筆がまだ主流だった時代、文字の普及に大きな役割を果たしたようです」

1世紀近くにわたり社会に貢献

ガリ版のローラー

 堀井父子が印刷機の研究を始めた当時、カーボン紙を使った複写や小ロットの印刷手段のほか、一般の人が大量に印刷する手立てはまだありませんでした。もともと国の官吏だった父新治郎は、その必要性を感じて研究を進め、明治26(1893)年にはアメリカで開催されたシカゴ万博へ。エジソン発明の印刷機「ミメオグラフ」を見て、想を得たとか。

 その翌年完成したガリ版の仕組みは、次のようなものです。和紙に蝋(ろう)を塗ったロウ原紙をヤスリの上に置き、鉄筆で文字を書いて、ロウを削ります。この原紙にローラーでインクをのせると、削られた細かい穴をインクが通り抜け、文字や絵が刷りあがります。

 ガリ版は、急速に普及します。発売同年に起こった日清戦争で軍事通信に採用された後、官庁や教育機関、新聞・通信社に広まり、大正時代には全国で使われるように。田中さんによれば、昭和の時代も重要な役割を果たしたとか。

 「戦後の復興期、情報伝達に印刷業は不可欠でしたが、活版印刷は打撃を受けており、ガリ版を使う小さな印刷会社が全国で立ち上げられました。その後、教育現場でもなくてはならない存在に。答案用紙や卒業文集、歌集……。学校で先生の印刷を手伝ったり、学級新聞を自分たちで印刷したり。そんな思い出のある世代は少なくないでしょう」

愛され続ける手書きのぬくもり

映画の台本や漫画で活躍

 ガリ版は、経済や教育だけでなく芸術文化にも貢献しています。小型のものなら持ち運びしやすく小回りがきき、複数のインクと印刷原稿を使えばカラー印刷もできるため、映画やテレビ番組の台本、漫画や同人誌など小部数の印刷で活躍しました。

 「とくに台本は、あがった原稿を急いで印刷する必要があったので、ガリ版は重宝されました。手書き文字ならではのぬくもりがあり、読みやすいという声も多かったようです。美術の世界でもプロの画家がガリ版で孔版画を描き、展覧会に出品するなど、『ガリ版文化』が醸成されました」と、田中さんはその価値を語ります。

 1950~1980年代に大活躍したガリ版ですが、以降はワープロやパソコンの普及で社会から姿を消しました。しかし、その昭和の空気をまとったあたたかな表現手法は、根強く守り継がれています。
 「一部の美術家や愛好家、それに海外でもいまなお活用されています。私も年賀状作りはガリ版です。やはりね、相手の反応がまったく違う。『手書きの味わい深さがよく伝わってくる』と喜んでもらえます」

その魅力を発信し続けるガリ版伝承館

希少なガリ版伝承館

 手書きと手刷りのぬくもり。こうしたガリ版の魅力を楽しみたいという愛好家に向け、新ガリ版ネットワークでは情報を発信し、器材を提供しています。器材は、「かつて大事に使っていたもの。活用してほしい」といった寄贈もあり、25年間ほどの活動で、原紙だけで約20万枚、鉄筆約1万本を集めました。

 活動拠点であるガリ版伝承館は、平成10(1998)年の開館。ガリ版1号機やガリ版の器材、作品の展示、ビデオ上映などを通して、その世界を紹介しています。
 
 「ガリ版」と冠した施設は国内でも希少とあって、来館者は県内や近隣府県だけでなく全国からも。懐かしむ人、学びたいという人ら、世代も訪れる目的もさまざまです。館内では体験ができるワークショップ(事前予約要・有料)のほか、ガリ版に関するイベントも随時開催されています。

だれもが夢中になる新しいツールへ

ガリ版ワークショップ

 ガリ版伝承館で開かれるワークショップでは、よく子どもたちが目を輝かせてガリ版に向かっています。田中さんによれば、ファンのすそ野は確実に広がっているとか。

 「これまで活字で育ってきた、ガリ版をまったく知らない世代にとって、ガリ版は斬新な表現方法であり、新しい伝達ツールなんですね。ガリガリという音やインクの匂い……。五感で楽しみながら、手書きのものを何枚も手刷りできる。これはおもしろいということで、大人も子どもも飛びついてくるんです」折しも人との距離感が取りざたされ、コミュニケーションのあり方が模索される世の中。デジタル化が急速に進むなか、求められているのは、120年前から存在する伝達ツールのガリ版なのかもしれません。

 「これからの社会で何が大切になるかといえば、手作りのぬくもり、やさしさを感じられるガリ版のようなものが、いっそう見直されるのではないか、と。さらにいえば、だれもが情報を瞬時に発信できるいま、文字を書いて印刷することは簡単には消せない重みのあることだと、ガリ版は教えてくれます。私たちはガリ版のこれからの可能性に手応えを感じています」