#02
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信仰の風景を未来に伝える
大津市坂本

第2回
「信仰の町・坂本」


神と仏、そして祈る人々。おごそかな時間が流れる大津市坂本。Good Sign第2回は、希少な歴史的景観を未来へとつなげる信仰の町、坂本を訪れました。
日吉大社_大樹
日吉大社 大樹

門前町の面影を今に伝えて

滋賀県大津市坂本にある穴太衆積みの石垣と桜
穴太衆積みの石垣と桜

 坂本は、滋賀県南西部、大津市のほぼ中央に位置し、背後に日本仏教の始まりの地、比叡山がそびえ、前方に母なる湖、琵琶湖が広がる自然豊かな地です。また、日吉大社と比叡山延暦寺の門前町として栄えた面影を今も色濃く残しています。

 比叡山延暦寺といえば、教科書でもおなじみの天台宗の総本山。世界遺産にも登録されています。

 開祖の最澄は、ここ坂本の出身で、奈良時代末期の788(延暦7)年、比叡山に入って小堂を建てたのが延暦寺の始まりです。鎌倉初期にかけては法然や親鸞ら、名だたる高僧を輩出したことから“日本仏教の母山”と称されています。

 その東の玄関口が坂本。街をめぐるなら、京阪電車石山坂本線の終点駅、坂本比叡山口駅から。駅を降りると、大きな鳥居が出迎えてくれます。そこからは、日吉大社と延暦寺へ続く参道。歩き始めると、「里坊(さとぼう)」が連なる独特の風景に圧倒されます。

 里坊とは、比叡山で修行をした僧侶が高齢になって山を下り、坂本に構えた隠居所。今も約50もの里坊が現存し、一帯は国の伝統的建造物群保存地区に選定されています。

 なかでも高い格式を誇るのが、僧の最上位である座主(ざす)が暮らした滋賀院門跡(しがいんもんぜき)。江戸時代初期、京都の法勝寺を移築したものと伝わっており、後に後水尾(ごみずのお)上皇から滋賀院の号をたまわりました。明治期の火災で焼失したため、現在の建物は延暦寺から移築されたものですが、優れた文化財が多数見られます。

 ほど近くには、織田信長による焼き打ちの後、延暦寺の復興に尽くした天海僧正を祀る慈眼堂も。境内には13の阿弥陀如来石仏や苔むした供養塔が並び、その静ひつな空気に心が清められるようです。

口伝で継承される伝統の職人技

石垣
石垣

 里坊の町並みでひと際目を引くのが、大小さまざまな石が積み上げられた美しく風格あふれる石垣。自然の石を加工せずそのまま使い、巧みに組むこの技法は「穴太衆(あのうしゅう)積み」と呼ばれるものです。

 穴太衆とは、安土桃山時代以降に活躍した石垣づくりの技術者集団。その名のとおり、坂本の穴太地区が発祥といわれており、堅牢な石積みで全国に名を馳せました。比叡山延暦寺や里坊の石垣をはじめ、安土城、大坂城、江戸城など、一説によれば全国の城約7割もの石垣造営に重用されたとか。その卓抜した伝統の技は、司馬遼太郎が著書『街道をゆく 叡山の諸道』でも敬愛の想いを込めて紹介しているほどです。

 驚くべきことに、穴太衆積みの技は、書物ではなくすべて口伝えで連綿と受け継がれてきました。それが今もここで、穴太衆の系譜に連なる石積みの匠により、次代へとつなげられています。ぶらり歩けば、重厚な石垣の向こうから、先人の息づかいが聞こえてくるようです。