#07
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ありのまま。
飾らない信楽Ogama


信楽の良質の土は琵琶湖の恵み

古代湖 琵琶湖
古代湖 琵琶湖

 信楽焼のもうひとつの魅力。それは、土そのものにあります。ざっくりと粗く、粘りやコシがあるため崩れにくく、火鉢から食器まで大小問わず作ることができるそうです。

 じつはこの土は、琵琶湖の湖底で生まれたもの。そもそも琵琶湖は、400万年前に原型が誕生したという国内で唯一、世界でも有数の古代湖です。原型は「古琵琶湖」と呼ばれており、これが地球の営みによって大きさや形を変え、移動し、現在の位置に落ち着いたのが約40万年前といわれています。

 信楽町周辺には、古琵琶湖の生きものが堆積し、化石となって含まれる「古琵琶湖層群」と呼ばれる地層が広がっています。信楽焼の陶土は、この地層から採れる粘土。発掘されたのはちょうど紫香楽宮が置かれたころで、当時この土で作られていた須恵器が信楽焼のルーツです。

 信楽の土の恵みは琵琶湖の恵み。太古の生きものの命が長い歳月を経て、やきものを作るのにこのうえない特徴を備えた粘土へと姿を変え、信楽焼の魅力の源泉となっています。

窯とともに新たな街の歴史を刻むOgama

信楽Ogama
信楽Ogama

 やきものの産地といえば象徴的なのが、中世、朝鮮陶工によってもたらされ、20世紀末ごろまで多く見られた登り窯です。近年は、エネルギー資源の変化やコスト事情もあり、薪を使う登り窯に代わり、ガス窯や電気窯が主流に。信楽町でもかつては窯元が集まる地区に100基以上あった登り窯が、今はわずか数基だとか。

 こうしたなか、火が消えていた登り窯一基を復活させ、この窯を舞台に新たな街の歴史を刻んでいるのが「信楽Ogama(おおがま)」です。「陶を通した、暮らし・文化を創造し、時代の豊かさを伝え発信する」をテーマに、登り窯を学びの場として活用するほか、カフェやショップを通して信楽焼の魅力を伝えています。

 このプロジェクトは約10年前、地元の窯元明山窯と滋賀県立大学の学生グループがタッグを組んで始まりました。とはいえ、主役となる登り窯は、昭和の時代に造られた焼成室が9室も連なる大型のもの。再生への道のりは簡単ではなかったといいます。

 作業場に足の踏み場がないほど残されていた道具や陶器の片づけ、倉庫や登り窯を覆う防煙スレートの解体、斜面の崩壊を防ぐ大規模工事……。使いこまれた登り窯の汚れは、何度も高圧洗浄機で磨いたそうです。「登り窯は、今もなお街の貴重なランドマーク」とOgamaの店長石野昇さんは語ります。

 「私たちにとっては、先代たちが心血を注いだかけがえのない場所でもあります。その重みを感じながら、信楽の産業遺産を後世に伝えていきたいですね」

伝統に新しさを吹き込んで未来につなぐ

連綿と続く伝統

 信楽焼は、いつもその時代時代を映し出してきました。
「先人たちは研究熱心でした。古き良き伝統を守るだけでなく、常に時代の新しさを取り入れ、次代へとつなげてきたのです」と石野さん。

 信楽焼の挑戦は今も続いています。たとえば、信楽窯業技術試験場が開発に成功したのが光を通す新しい陶土。その陶土を使ったものが透光性陶器(登録商標「信楽透器」)で、信楽焼の特性はそのままに、LED照明器具や光る手洗い鉢といった機能的なものが生み出されています。

 「何百万年、何十万年も昔の古琵琶湖層の土に恵まれ、現在まで多彩な信楽焼が生まれました。このことに感謝し、歴史と伝統の重みを受け止め、地域の誇りとして令和の時代、そして未来へと継承していきたい」と石野さんは決意を語ります。

 Ogamaでは、職人が手ほどきする陶芸教室も開催されています。連綿と続いてきた生きものたちの命が宿る土に直接ふれれば、信楽の豊かな自然、伝統をつなぐ人々の熱い想いも温もりとなって手に伝わってくるようです。

信楽Ogama公式サイト

https://www.meizan.info/ogama/