#07
#07

ありのまま。
飾らない信楽Ogama

第7回
「信楽 OGAMA」


1,200年余の歴史を誇り、日本六古窯の一つに数えられる信楽焼。8世紀半ばの天平時代、聖武天皇によって信楽に造営された紫香楽宮(しがらきのみや)。日本律令国家最大のモニュメントとして大仏の造像が企図されながら、紫香楽宮は短命のうちに幕を閉じ、大仏も還都された平城京で完成しました。紫香楽宮から信楽へ。1,200年前から現在まで、豊かな文化が伝えられている信楽と信楽焼の伝統を未来へと継承し続ける「信楽Ogama」をの魅力に迫ります。

信楽に存在した幻の都「紫香楽の宮」

紫香楽の宮
紫香楽の宮

 滋賀県南東部、三重県との県境に位置する信楽焼の故郷、甲賀市信楽町。かつて、この地には都が置かれたことがあります。聖武天皇が742(天平14)年から造営を始めた「紫香楽宮(しがらきのみや)」です。

 聖武天皇は、“奈良の大仏”でおなじみの廬舎那仏像(るしゃなぶつぞう)をここに建立するつもりでしたが、紫香楽宮の完成後、山火事や地震などの天災が続き、奈良・平城京に都を戻します。

 時を経て、信楽は信楽焼によって再び歴史に名を連ねます。その始まりは鎌倉時代中期といわれ、以来1,250年に渡って伝統を受け継いできました。今日では国内の代表的な陶磁器窯である日本六古窯の一つとしても知られており、1976(昭和51)年には、国の伝統的工芸品に指定されています。

 信楽焼の歴史をふり返ると、いつも時代の象徴だったことがわかります。安土・桃山時代には茶の湯ブームのなか、茶陶で茶人や戦国大名に愛されました。明治時代以降は深い青色の「海鼠釉(なまこゆう)」が開発され、この釉薬を使った信楽焼の火鉢は、昭和に入ると国内シェアの約8割を占めるほどの人気に。信楽焼の顔ともいえる“狸の置物”は明治時代に生まれ、1951(昭和26)年には昭和天皇の信楽行幸にともない、歓迎のため沿道に並べられたものが、報道を通じて全国に広まり、話題を集めたとか。

 誕生以来、時代の要請に応えながら、人々の暮らしと文化を支えてきたやきもの。それが信楽焼なのです。

土と炎が紡ぐ緋色=スカーレット

土と炎が紡ぐ緋

 信楽町を舞台に女性陶芸家の人生を描いたNHK連続テレビ小説101作目の「スカーレット」。スカーレットとは黄みがかった赤色、つまり緋色を意味する英語です。「古信楽」といった釉薬を使わない伝統的な信楽焼は、この緋色が特徴。土と炎だけで醸し出される人肌のような温かな発色で、淡い色から深紅色まで幅広いのも妙味です。

 窯で燃やした薪の灰が溶けて表面につく「自然釉(ビードロ釉)」も信楽焼の特色。信楽焼は高温の窯で焼成しますが、窯の中が1,000度を超えたタイミングで赤松を加えると、独特の表情が生まれるそうです。

窯と炎と赤松

 薪の灰に埋まった部分は、「焦げ(灰かぶり)」と呼ばれる溶岩のような黒褐色を帯びます。そのさびた風情が、中世には侘茶の精神にマッチすると、信楽焼の茶陶は人気を博したのです。

 虫害で赤松が減少しているうえ、焼成方法も時流の中で変化していますが、現代でも作り手は緋色にこだわり、赤松の代替品を使うなどして伝統を守っているそうです。